三月十一日 東日本大震災

仙台産まれの仙台育ち、生粋の仙台っ子である私は恐縮ながらこの物語の主人公であるが物語の舞台は仙台ではない、 滋賀である。なぜ滋賀なのかを説明するにはあまり時間を要さない。

東日本大震災、これは多くの人々の記憶に強く残っていることだろうし、多くの人間の脳裏に一生焼き付いて 忘れさせることを許さない出来事であっただろう。

私に関しては沿岸部の人間ではなかった為津波等の二次的被害は受けていないが、停電の真っ最中、 ラジオ越しにどんどん悪くなっていく状況をただ座して聞いていたいたのを今でも鮮明に覚えている。 とは言っても当時の私が現場に近かったとして何が出来たであろうか?

生活がある程度確保されると私はだんだん自衛隊採用の件が心配になってきた。

自衛隊広報官の方も震災直後に私の自宅を訪れ、どうなるか全く分からないという旨を私に伝えた。 ちなみにこれは人伝いに聞いた話であるので真意の程は定かではないのだが、 今回の震災において『予測不能』の津波の規模が大きな原因であったとされている。

それは自衛隊の災害派遣訓練に於いて大規模津波をシュミレーションに加えてしまうと ライフラインの確保が完全に不可能になってしまうので、津波という概念を一切合切切り離して 訓練を行っていたらしい。その為、『予測不可能』であったということだそうだ。

尚その話を自慢げにしていた自衛官にお詳しい方については近日謎の失踪を遂げている。




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