三月三十一日 大津へ

地震の影響により仙台空港が使えない為、山形空港から伊丹空港へ、 そして大阪から京都、そして滋賀へと渡って行った訳だが、山形はともかく (山形の皆さんごめんなさい)大阪京都は大の都会である。そんな都会に隣接しているのだから 当然のこと滋賀も都会なのだと思っていた。いや、実際私は滋賀県の県庁所在地である 大津市の大津駅近辺には足を運んでいない為滋賀自体が田舎かどうかを判断するには 定かではなかったが少なくとも大津駐屯地のある際川界隈は平和をこよなく愛する長閑な町であった。

着隊の前日、私は、私がおかしな行動を起こさない為の監視兼道案内である父と共に大阪京都 でささやかな豪遊をした。高層ビルの最上階のレストランで一対九くらいで割られた十二年産 の山崎ハイボールを飲み、京都のホテルグランヴィアではただベッドに寝そべっただけで三万円に近い金額を支払った。

そんな都会人かぶれの私が平和を愛する際川の町に辿り着いた時絶望したのは言うまでもないだろう。 大津駐屯地の最寄り駅である浜大津駅を一歩出たが最後、どこまでも草原が広がり 疎らながらかやぶきの屋根の民家が散見出来る。さらに遊牧民たちであろうか、 羊を駆って琵琶湖の方に向かっている。恐らく羊たちに琵琶湖の水を飲ませてやるのだろうと思われた。

無論ただの妄想である。ただの妄想ではあったが当時の私はそのぐらいのショックを受けたのだ。 実際は浜大津駅の歩道橋向かいにアーカスと呼ばれるアミューズメントパークがあり 週末は自衛官たちで埋め尽くされるのが容易に想像出来た。それ以外これといって目ぼしい 施設や店舗はほとんどなく私をガッカリさせること請け合いであったのは言うまでもない。

だが私は根性と肝の据わった男であり、すぐに立ち直ってこれからの自衛隊生活で ヒエラルキーのトップに登り詰つめんと決意し、早速武者震いするのであった。




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