入部 その10
悔しさや悲しみが先行した記憶だが、今となってはただ恥ずかしいだけのものである。
「何、あんた、卓球するの?」
訝しむ様な、もしくは呆れたような顔つきで、母さんは俺を見た。
「い、いや……」
当時の記憶が鮮明に蘇ってきてなんだかいたたまれなくなり、俺は自室に戻るなりベットに身を投げた。
ラケットがないことにガッカリしているのか、 もう卓球なんてしないと決めたのにすぐに心変わりしている自分に腹を立てているのかはよく分からなかった。 いずれにしてもまた卓球を始めるには幸先の悪いことこの上ない。 ダウンさせられたレスラーみたいにぐったりと身体を横たえる。 レフリーのカウントまでが聞こえてくるようだった。
1、2、3、4、5、6、7……
「やっぱりやるんじゃなかったかなぁ……」
終いにはリングを叩きつけるレフリーが見えた。
8、9……
その時、
「階段下の物置!」
部屋のドアをノックしながら母さんの声が何か言った。 初め母さんの声を良く聞き取れず、大声で聞き返した。
「はい!?」
「ラケットよ、ラケット……階段下の物置!!」
えっ!? でもさっき捨てたって……
「さぁ? あんたのことだからまた卓球するって言い出すと思ってたけど、的中ね」
それっきり母さんは何も言わなかった。母さんの声で飛び起きた俺はそのまま部屋の外に出てみる。 すでに母さんは居なかった。 俺は急いで階段を下り、階段下の物置を勢いよく開け放した。 掃除機の奥、冬場しか使わないストーブの上に見覚えのある黒いナイロンのケースが置いてあった。 ファスナーを開けて中身を確認する。そこには中学時代苦楽を共にし、 最後に俺の汗と悔し涙を存分に吸いこんだラケットがあった。
よかった……
俺は喜んでいた。あれだけ卓球はしないと決めていたのに、あんなに悔しかったのに、 辛かったのに、また卓球が出来る。それが嬉しいと感じていた。
公式の大会で初勝利を収めたときにおねだりして買ってもらったラケット。誰にも負けない気がした。 嘘じゃない、本当に世界で一番だって夢じゃないって思えた。
何で卓球なんてもうしないなんて言ったんだろうな、俺。
「卓球を続けるのは別に良いけど、家族にはあんまり迷惑かけないでよね?」
後でそう釘を刺した母さんだったが、どこか嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。