プロローグ・そして弟子入りへ…

2011年、春

高野川と鴨川の合流地点、これは『鴨川デルタ』称されているが、春にはコンパ会場として広く利用されている。 しかし今は太陽も空高々と昇る真昼間、観光客や地元民の往来はあれど酒や肴をむさぼる輩は皆無であった。 そんな河原に一人黄昏を好む変人が佇んでいた。 春だと言うのに膝までのコートに身を包み、キャスケットを深々と被り、 その表情を垣間見ることは難しいかと思われた。 もしも昼間に出会えば十人中三人が小説の世界からシャーロック・ホームズでも飛び出してきたのかと思い、 夜道で出会えば十人中十人が犯人だと想像するであろう。男は河原に生い茂る三つ葉の群生をしげしげと眺めたり、 時には空を見上げたり、さながら浮雲か世捨て人のような風情であった。


男の黄昏も半刻程が過ぎたあたり、男のそばにさらに奇奇怪怪な人物が近寄った。

「貴君、そんなところで何をしているのかね?」

新たな怪人は、くたびれた桃色の浴衣に身を包み、高下駄を履いてのんびりどっしりと構えていた。 顎は茄子のようにしゃくれているが、何処か神々しささえ感じられ、 仙人か、若しくは本当に神様なのではないかとさえ思われた。 コートの男はいきなりの声掛けにビクリとしながらも浴衣の怪人を見上げ、帽子のつばに隠された瞳をのぞかせる。

「……『幸せ』ってやつをさがしている最中でしてね」

そんな、年頃の婦女子が忍び忍ばず笑ってしまいそうな台詞を吐くと、男は再び三つ葉の群生を物色する。

「それはいかん、いかんよ君」

浴衣の怪人はコートの男の傍まで寄り、空を見上げたまま唸った。

「『幸せ』を求める為に、それだけの三つ葉を踏みにじってしまっては、元も子もなかろうに」

虚を突いたようなその言葉に、三つ葉を物色する男の手は止まった。 コートの男は物言いたげであったが、浴衣の怪人は尚も続ける。

「そもそも『幸せ』を『探す』、という表現自体よろしくない。 どうせなら、そこにあるごくありふれたものに『幸福』見出した方が有意義ではないかね?」

「…………」

コートの男は無言の後に立ち上がり、浴衣の怪人と相対し、不満げに口を曲げた。 そんなことは気にしない、といった風情で、浴衣の怪人は空に浮かぶ雲を凝視し、結言を述べた。



「変わらなければいけないのは、世の中ではく、貴君であろう」




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