幻想盃戦争

飲み屋『黒肴』の座敷にて文と荘太は遂に幻のショットグラスと対面を果たしていた。

「これが……幻のショットグラス?」

荘太が想像していたのは黄金をベースに数多の宝石で装飾された大海賊時代の金銀財宝のようななグラスである。

「……なんだか地味ね」

はたまた文が想像していたのはルビーやエメラルドの様な宝石を丸々用いて作られたスタイリッシュかつ アグレッシブなグラスである。が、二人の目の前に丁寧に安置されているのはただの通常のクリスタルで作られた 規則的な凹凸をもつ文の言う通り地味なグラスであった。

「信じられなくとも無理はない……」

いかにも狡猾そうな面持ちの中年男性、そして『黒肴』の店長、つまり『藁しべ長者』は手にした 『ボウモア』のボトルを傾け中の琥珀色の液体を静かにグラスの中に注ぎ、並々にまで注ぐと、 おもむろに行燈の中にグラスを入れ、座敷の、他のすべての明りを消しやった。

「良い酒は、君らなんかよりもよっぽど年寄りじゃ。多くの歴史を知っておる」

薄気味悪く微笑む顔が柔らかい赤光に照らされ、二人は同時に眉間に皺を寄せた。 『竹取堂』にあった目録から、黒肴の店を調べてきた二人であったが、確かに、竹取堂店主の行った通り、 鼻持ちならない雰囲気のある男だった。

藁しべ長者はグラス入った行燈の上空に二人を招く。二人はおどおどと行燈に覆いかぶさるように、 中のグラスに注がれた液体の表面を覗きこんだ。

水面(みなも)の琥珀色はウイスキーの原料となるであろう大麦畑の色そのものであった。それらを収穫する農夫の姿散見され、 西陽がすべてを黄金色に照らし、農夫らの流す汗もまた黄金色に光った。 その落ちる汗の流れは、泥炭を豊富に含んだラーガン川の流れそのものであり、 アイラ島独特の薫りが二人を包みこんだ。その薫りの中で目を開けると、 収穫された大麦が発芽させられ糖化し蒸留機とおぼしき機械に入れられる。 その中でグルグルグルグルと延々と回転しているとやがてその渦の中心に年季の入ったシェリー酒の樽が見えてきた。 二人は流れに身を任せるようにしてその中に飛び込んでみる。

そして、樽の中に入ってどれだけの時間が経ったのだろうか? 一〇年?二〇年?兎に角気の遠くなるような時間を樽の中で眠った。


「―――おはよう」

ふと気がつくと目前で不気味な老人がケケケ、と笑っていた。

「う、うわぁっ!!?」「きゃあ!!」

荘太と文は驚き慄き、互いに顔を見合わせた。 二人とも豆鉄砲を二、三発は喰らっていなければ出来ないような顔をしていたようである。

「―――酒の記憶を見る……いや、飲むことが出来る、だから、幻のショットグラス?」

文はゴクリと喉を鳴らす。先生が欲しがるのも無理はない。むしろ、先生に限らず欲しがる人は多いに違いない。

「どうじゃ?欲しかろう?」

二人の驚きを栄養にして肥えているかのように藁しべ長者はますますにやけた。

「―――じゃがな、ちょうどお主らが来る前に同じものを譲って欲しいというお客が来たんじゃ」

「そんなぁ……」

荘太はがっかりと肩を落とす。無理はなかった。なにせ、今までの東奔西走が水泡に帰しかねないのである。

「まぁまぁ最後まで聞かんか」

藁しべ長者は相も変わらずにやけた表情を見せる。

「幸いまだ譲ってはおらなんだ……現在交渉中でな、さてどうしたもんかね、仁さん?」

男の声と同時に襖がピシャリと開き、隣の座敷にいた恵比寿のような老人が顔を覗かせる。

「随分めんこい童じゃな。幻想盃を欲しがるには些か幼さ過ぎやせんかね、長さん?」

長さんと呼ばれたのは藁しべ長者であり、本人は何も言わずケケケと笑っている。

「私もう二〇歳よ?どんなお酒を飲もうが、どんなグラスを欲しがろうが勝手じゃないかしら?」

文は勇んで恵比寿のようにでぶでぶと肥え太った仁老人に食ってかかる。

「こりゃ元気の良いお嬢さんだ。だが確かに正論じゃな……どうかな?幻想盃を賭けて儂と飲み競べせんかね?」

仁老人は手にした瓢箪をグビリとやって文に迫る。飲み競べしようと言うのに既に大分酔っているようにも見えた。

「良いじゃない。臨むところよ!!」

今、正に文と仁老人の間に火花が散っている。その火花で間に挟まれる荘太が火傷してしまう程であった。




もくじへ移動/ 次のページへ

TOPに戻る